シャッター アイランド (2010/02/19) 監督:Martin Scorsese 原作:Dennis Lehane 出演:Leonardo DiCaprio, Mark Ruffalo, Ben Kingsley 時間:138分 ★★★★☆ Amazonで詳細を見る |
『シャッター アイランド』は、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』、『ディパーテッド』、『アビエイター』、『ギャング・オブ・ニューヨーク』でもタッグを組んでいるマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)とディカプリオ(Leonardo DiCaprio)によるサスペンス映画。
ウルフ・オブ・ウォールストリート: 2013年に公開された伝記・コメディ映画。【ウィキペディア:ウルフ・オブ・ウォールストリート】
ディパーテッド: 2006年に公開されたクライムサスペンス。【ウィキペディア:ディパーテッド】
アビエイター: 2004年に公開された、実在の実業家ハワード・ヒューズの半生を描いた伝記映画。【ウィキペディア:アビエイター】
ギャング・オブ・ニューヨーク: 2002年に公開された人間ドラマ。【ウィキペディア:ギャング・オブ・ニューヨーク】
あらすじ
大戦後の1954年、連邦捜査官のテディ・ダニエルズ (Leonardo DiCaprio) とチャック・オール (Mark Ruffalo) は、厳重に警備された孤島にあるアッシュクリフ精神病院に訪れる。そこは重犯罪を犯した精神病患者を隔離する刑務所でもあった。
テディとチャックは、本島の患者であり犯罪者でもあるレイチェル (Emily Mortimer) の病院からの脱走の報告を受け、この島に捜査に来たのだった。
レイチェルは3人の自身の子供を溺死させ、溺死させた湖から死体を引き上げたうえに、死体の眼前で食事を取っていたという女だった。そして病院に来てからも、自身が我が子を殺したことを認めていなかった。
テディとチャックは、レイチェルが生活していた部屋に調査に入る。しかしその部屋は鉄格子の窓しかない鍵の閉まった完全な密室。そしてもし仮に部屋をでることができたとしても、昼夜を問わず警備された病院を抜け出し、それを囲む高い塀を超えなくてはならない。
そしてその周りには一面の海があるのみであり、レイチェルが脱走することなど不可能に思えた。
しかしその部屋を調査したテディは、床板の下から
テディとチャックは、本島の患者であり犯罪者でもあるレイチェル (Emily Mortimer) の病院からの脱走の報告を受け、この島に捜査に来たのだった。
レイチェルは3人の自身の子供を溺死させ、溺死させた湖から死体を引き上げたうえに、死体の眼前で食事を取っていたという女だった。そして病院に来てからも、自身が我が子を殺したことを認めていなかった。
テディとチャックは、レイチェルが生活していた部屋に調査に入る。しかしその部屋は鉄格子の窓しかない鍵の閉まった完全な密室。そしてもし仮に部屋をでることができたとしても、昼夜を問わず警備された病院を抜け出し、それを囲む高い塀を超えなくてはならない。
そしてその周りには一面の海があるのみであり、レイチェルが脱走することなど不可能に思えた。
しかしその部屋を調査したテディは、床板の下から
4の法則、67は誰?と書かれた紙切れを見つける。その文言に、島の人間は誰も心当たりはないと言う。しかしそこにはテディ自身にも関わる、重要な秘密があった・・・。
ネタバレ注意
物語は精神病院に隔離された犯罪者の探索から始まるが、テディの目的が本病院に居るというテディの妻を殺した放火魔を見つけ復讐することであることが明らかになり、その放火魔を探すことに物語の主軸は移っていく。それと同時に、テディがナチスのダッハウ強制収容所を解放した連合軍の一員であり、ダッハウの虐殺に関わっていたという、テディのトラウマも明らかにされる。
このトラウマのためか、妻を殺されたことによるのか、テディの精神の不安定さが描写されていく。
そして終局で明らかになるテディの秘密は、テディの人格全てをひっくり返してしまうもので、テディをどん底に叩き落す。しかしその秘密が本当に真実なのかは判然とせず、テディは断罪されて物語は終わる。
ダッハウ強制収容所: ドイツバイエルン州のミュンヘン近くにあった、ナチスドイツの強制収容所。
ダッハウの虐殺: ダッハウ強制収容所解放時に、アメリカ陸軍によって行われた収容所職員、ドイツ人戦争捕虜に対する虐殺行為。
感想
様々な意味で判断の分かれる作品である。中盤からの連続した狂気染みた描写が視聴者を混乱させ、終局で明らかにされていく秘密が、視聴者に空虚感を与えていく。
そんな決して見て楽しい映画ではないが、サイケデリックな描写を論理の枠に見事に落とし込んだ作品であり、多様な終末の余地残した作品でもある。
テーマ
本作品は、精神医学への批判をテーマとしているように見受けられる。一つには旧来の精神治療の批判があり、また精神医学の恣意性にもスポットを当てている。旧来の精神治療
本作品の中では、薬物治療や患者との対話による先進的な精神医学と、精神外科の一手法であるロボトミー手術による旧来の精神医学の対立という図式がある。このような図式は、1950年頃の実際のアメリカの精神医学界を描写しているように考えられる。アメリカでは実際、同時代に発明された抗精神病薬の発展やロボトミー手術の副作用への批判から、精神治療の外科的治療から薬物的治療への転換が起こっている。
ロボトミー手術:精神外科手術法の一。眉間付近の頭蓋骨に穴を開け、そこからメスを差し込み前頭前野と他の部位との連絡線維を切断する術法。前頭前野は、思考や創造、計画、情動抑制、社会的行動や葛藤の解決など、人間の動物的でない機能を担う部位の中枢であることから、ロボトミー手術は患者の人格を劇的に変化させた。
【Wikipedia: Lobotomy、脳科学辞典:前頭前野】
精神医学の恣意性
また本作品終盤で、テディが洞窟の中で出会う女性が精神病診断の恣意性について語るシーンがある。
そこでは、精神科医師に精神病であると断定されると、断定された人はもう何を言っても妄想と片づけられてしまい、本当は正常であったとしても、隔離や薬漬けやロボトミー手術の対象となってしまう可能性が語られる。
この問題は現在でも変わらず存在する。もちろん現在は、ロボトミー手術は禁止されているし、隔離されることもそうそうないが、現在においても生理学的な証拠のない心理テストやアンケートや対話などで精神病は判断されるのが常であり、この恣意性の問題は無くなっていない。
しかも近年の精神病の多様化と閾値の低下、つまり取るに足らない精神的反応でも精神病と診断されやすくなっていることにより、問題はより身近になっている。
それは昔は耳にすることが無かった、うつ病、自閉症、境界性パーソナリティ障害、PTSDなどの言葉が身近になっていることからも明らかだろう。
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